傷つきやすく繊細な子はダメな人間なのか
今回の記事は私の自戒を込めて書きます。
私は気づいたときには傷つきやすく、人の気持ちが分かりすぎる子でした。
子どものころ一番つらかったのは、夏休みの平和学習。
体験者の話を聞いたり戦争に関するビデオを見ると必ずその日の夢は戦時中。
苦しさから途中で汗を大量にかいて目覚めていました。
ただ、これは大事なこと・日本が忘れてはいけないこと だという勝手な自分の思い込みにも苦しみ、誰にも辛いと言えませんでした。
子どものころからそんな自分はダメな子だと思い込んで生きていました。
子育てをしたり、仕事に励んだり、自分で意識して世界を広げたことで
30歳を過ぎたころ、そんな自分もいいんだ と思えるようになりました。
先に書いた戦争のこともこのころからやっと向き合えるようになったくらい。
私の子の一人は
傷つきやすく繊細な子として生まれました。
大人の言うことを早くから理解し、その心を読む子でした。
言葉の意味や感情を理解すればするほど 自分の気持ちを言うことが難しくなりました。
遊びに行った先で、全く知らない子が怒られて泣いていると自分のことのように
感じて目が離せなくなり、目を潤ませます。
子どもの口癖は「どうせ私はダメな子なんだ」「どうせみんなに嫌われている」。
本当にそうなのか?
本当にダメな子なのだろうか。
- ダメな子は本当にダメな子なのか
- 傷つきやすく繊細な子がなってはいけないのは悲劇のヒロイン
- すべてに意味がある
- 繊細な母が子にできることは
- 傷つきやすく繊細なあなたはダメな子ではないよ。その経験は誰かを救うから。
ダメな子は本当にダメな子なのか
自分のことをダメ、役に立たない と発言する子の多くは傷つきやすく繊細な子が多い。
私と私の子ももれなく当てはまる。
私の経験から言うと、鈍感な人よりも傷つきやすいが故に他人の気持ちを汲み取ることができる。
この人は今悩んでいるな、イライラしているな、疲れているな などが分かっちゃう。
なんならその人の気持ちを聞く前に わかる、今つらいよね大変だよね
などと脳内で勝手に共感している。
その共感が誰かを救うはず。
小さな幸せも大きな苦しみも、鈍感な人からすると 「何言ってんの?」「どこがつらいの?」と突き放す言葉になる。
でも小さな幸せ、大きな苦しみを共感できることで崖から落ちそうな人を救えるかもしれない。かなりの強みだ。
傷つきやすく繊細な子がなってはいけないのは悲劇のヒロイン
強みである一方で、方向性を間違えると強みではなくなり
周りを悪い方向に巻き込む。
過去の私です。しかも数年前までのね。最近や。
私は傷つけられたと思ったら 私の気持ちわかってるの?こんなに傷ついたの!!
と訴え
自分を否定されたと感じたら は?もう知らんし! とキレていました。
今考えると本当に面倒くさい…悲劇のヒロインを振りかざして自分を何とか相手の中に存在させようとしていました。
これだけは本当に気を付けたほうがいい。わかっている私でも余裕がなくなると
悲劇のヒロインちゃんが頭の上にふわふわ表れて侵入しようとします。
すべてに意味がある
一見自分にとっては最低だと思うことも、誰かを救うきっかけになる。
繊細なことに限らずだけども。
自分がダメだと思っていることは、誰かのタメになるなんて
冷静な気持ちで考えると、なんだかおもしろいと感じるのは私だけかな。
繊細な母が子にできることは
母としてできることといえば、我が子を見守るしかない。
どんなに君はいつか誰かを救うために繊細なんだよ、といっても
結局は本人がどうとらえるかわからないからだ。
その子を見守って、私はあなたの味方だよ、私はあなたが大好きだよ
と伝え続けるしかない。
傷つきやすく繊細な母として、私の経験を話すことも成長過程で必要だろう。
伝え続けるために必要なことは 母の心の余裕を持つことになるんだなぁ。
傷つきやすく繊細なあなたはダメな子ではないよ。その経験は誰かを救うから。